2017年6月27日火曜日

明石家さんまの運とか気、のようなものを考える



そろそろ幽霊話の季節である。とびきり怖い体験談などご披露できるといいのだけれども、あいにく私には霊感というものがまったくない。隣でお化けがタンバリンを叩いて踊っても気付かないだろうといわれるほど鈍感である。



YouTubeで心霊ビデオを見てもどこに霊が映っているのか最後までわからないということもよくある。ごていねいに画面に赤◯印でご指示をいただいても認識できないことさえある。



バカは風邪をひかないのではなく風邪をひいても気がつかないだけ、という原理と同じなのかもしれない。もし実際に幽霊が存在すれば、のお話ではあるけれども。



そんなようなわけで私が以前なにかしらそれらしきことを語っていたとすればそれは架空のつくり話である。この場を借りてお詫び申し上げる。しかし霊感はないけれどもまだ認知されていない人間の「エフェクト(effect=効果、影響)」があることは信じる。



苦し紛れに「エフェクト」といったのは、たとえば気とか波動とかあるいは運などと呼び慣らわされているものを含んでいて、またそれを説明しようとするひとつにアストラル体とかいう考えもある、というようなものである。



気も波動もアストラル体も「エフェクト」の別な呼び方として間違っているというわけではないのだけれども、そう呼んでしまうと失われるものも、勝手に付加されるものも多すぎるような気がする。それでなくても有象無象が蠢くニューエイジ、オカルトっぽい領域の話題である。できるだけフラットな感じでお話をしたい。



で、私としてはその「エフェクト」自体を感じるわけではなくて、ある現象、たとえば人の思いがけない行動やなりゆきなどを見ていると、ああ、これは誰それの「エフェクト」だ、と思うのである。偶然の一致、だけではどうにも腑に落ちないヤツを。



「エフェクト」の強弱、性質は人それぞれで、ぶつかりあうこともある。弱い「エフェクト」は強い「エフェクト」に打ち消されるか呑み込まれるかしてしまい、それはそのまま現実の人間関係に反映される。



「エフェクト」を失うとしょぼくれる。であるから逆にあまりに強い「エフェクト」をもっていると周囲を不幸にしてしまうことがある。やっかいなことに「エフェクト」は本人自身もコントロールできない。



まあそこらの新興宗教とあまり変わりのないことを書いているようである。けれども「エフェクト」はたしかにある。と思う。うむ。来年のいまごろ「人と人生の読み解き方——“エフェクト”」というお題目で全国を行脚しているかもしれない。そのときはひとつよろしくお願いしたい。芸名、もといシン・ネームはエフェ・カンタービレである。なにをいっているのであろう。



論より証拠。次にきわめて「エフェクト」の強い男をご紹介しよう。



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【さんま「俺の邪気」関わった人物にトラブル続発中「木村拓哉の事故も俺のせいやわ」】


《 タレント・明石家さんま(61)が24日放送のMBSラジオ「ヤングタウン土曜日」(土曜、後10・00)に出演。最近、自身の周囲でトラブルが続発していることを話題にし「俺の邪気なのか。木村拓哉の玉突き事故も俺のせいやわ」とボヤきまくった。—〈略〉—

 


今月10日の放送でさんまは、6月に入り日テレ系「踊る!さんま御殿!!」に出演した俳優・橋爪遼容疑者が覚せい剤取締り法違反で逮捕されて番組が緊急編集を余儀なくされ、俳優・小出恵介の淫行騒動で自身監修のネットフリックスドラマが配信中止危機となり「長い芸能生活、1週間で2回も巻き込まれるなんてある?」とこぼしていた。

 


さんまは、この日の放送で、「最近、俺の邪気なのか、俺の回りでどんどん変なことが起こるねん。そういうたら間寛平さんも木から落ちて骨折したし、もう木村拓哉の玉突き事故も俺やねん。俺のせいやねん」と背負い込んだ。



 おはらいを勧められると「むしろ俺は、邪気を説得して訓練して、共に生きたい。最強になれるわ」とやけくそ気味。ただ「ここまで悪いことが続いたら、そろそろ。8月に剛力彩芽が恋愛解禁やねん」とうれしそうに話した。



 —〈略〉—

 》

 (※「デイリースポーツオンライン」2017年6月24日配信)


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なんというのであろう? 寄せては返し、返しては寄せる「浜辺の歌」みたいな文章である。古くてすまんのう。これが宇宙に偏在するリズムというものなのであろうか?



でもって芸歴の長い明石家さんま(61)のことであるから知り合いや仕事の仲間もずいぶん多く、彼らに悪しき事情が立て続けに発生してもなにも不思議ではない、とおっしゃるであろうか? そう。私もそう考えたと思うのである。これが去年、一昨年までのことであれば。しかしどうも還暦を迎えたあたりからようすが異なるのである。明石家さんまの「エフェクト」の性質がかわってきたようなのである。



それまでの明石家さんまは、いってみれば大きな不幸を担保にして盛運に乗っていたような気がするのである。もちろんここまでの成功には本人の資質や努力がだいいちに大きいのであるけれども、「エフェクト」がどこかに作用していないはずはないのである。「誰かが仕事でぐんと飛び抜ければまわりにそのしわ寄せが行く」、と本人も語っている。



明石家さんまの大きな不幸とは3歳のときの母の死であり、27歳のときの弟(当時19歳)の死である。とくに弟の死の場合は自宅(明石家さんまの実家)が全焼して焼死というたいへん酷く残念なものであったので、ご承知の方も多いと思う。しかもこの事件は1983年4月の発生から1ヵ月半以上経ってから、灯油を浴びた上での焼身自殺であったと発表されるのである。



明石家さんまは弟には自殺する理由などないとしてこの捜査結果を受け容れていないようであるけれども、たしかに使用されたのがガソリンではなく灯油であることにも疑念の余地はある。灯油はガソリンのように爆発的に燃え上がることはないので、2階に家族3人が就寝しているその1階の工場で焼身自殺を果すにはそうとうな決意が要ると思うのである。



ともあれこうした影の部分があって明石家さんまは光り輝いているのである。と、私は思う。それが還暦を過ぎたあたりから少し様子が異なってきたのである。誰からともなく、もちろん仕事上のことではあるけれども、明石家さんまは怖いという話が出るようになって、すると周辺に細々としたトラブルが起きはじめたのである。



たとえば特定の誰かに肩入れをするなどという発言はしたことがかつてなかったはずなのに「ワシは木村派や」と宣言した木村拓哉は自動車事故のずっと前に悪役のレッテルを張られて回復不能に陥っている。明石家さんまは怖いというお話で「光と影」の光の部分にわずかに影が入ったからなのであろうかとも思うのだけれども、いかがお考えになるであろう。



明石家さんまの「エフェクト」の変質には、もうひとつ「いい人を続けられるのは60歳まで」という「いい人60歳限界説」からの影響がある。だいたい60歳あたりで化けの皮が剥がれる、化けの皮とまではいえなくても地金が出てくる、そーんな私の思いつきである。



もとい。本人にそのつもりはなくても周囲の人間に禍いをもたらす、あるいはそんな「エフェクト」の負のチカラが地下水脈で繋がっているように思いがけない場所に顔を出す。いまや明石家さんまは私にとって、萩本欽一、岸部シロー、蛭子能収の3大疫病神に肩を並べる存在になりつつあるのである。4大疫病神確定まであとわずか。くわばらくわばら、である。



え? 私の「エフェクト」? エフェ・カンタービレに向かってなにをおっしゃっておられる。いやまあ、現状、本体がなにぶん「生きてるだけで丸儲け」状態なので、たぶんどうってこともないレベルなのでござる。では「エフェクト」に続いて「エフェクトのエコー効果」についても研究せねばならぬので、本日はこれにて失礼つかまつる。(了)




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