6月22日夜、小林麻央が亡くなった。享年34歳。謹んでご冥福をお祈りする。
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医療の進歩のおかげで、病はある程度よく見通せるようになった。しかしそれは一方ではその病と正面から向き合うように強いることでもある。しかも最終的にはチカラが及ばないこともある。考えようによってはたいへんに苛酷な状況である。
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病を得た本人やその家族は闘わなければならない。小林麻央と市川海老蔵(39)は、その本来はとても私的な闘いをなかば公にすることで多くの人々の闘病や人生に資することを願い、同時に自分たちも一定のガイドを得ていたのであろうと思う。とりあえずいまはお疲れさまでしたというしかない。
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その闘いのようすはほとんど小林麻央と市川海老蔵それぞれのブログやSNSで伝えられていた。申しわけないけれども私は気持がからきし弱いので小林麻央のブログをリアルタイムで読むのは遠慮していた。
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もっとも注目したのはいうまでもなく市川海老蔵の節目を迎えるたびの記者会見である。それから2017年1月9日に放送された『市川海老蔵に、ござりまする 90分SP』(日本テレビ)も、まとまった肉声が聞ける数少ない機会であった。
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この番組では「早ければ(2016年の)3月、4月、5月あたりでたぶんダメだった。夏はムリだと思った」という発言が思いやりに欠けると批判を受けたらしいけれども、それには市川海老蔵の立場からすれば、逆に世間やマスコミに裏切られたという感触があったのではないか、と思う。
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市川海老蔵にしてみれば世間は小林麻央の病状を認識し、思いを共有して応援してくれているものだと思っていたし、どこかで過去に越えてきた山を報告しておかなければ状況が正確に伝わりづらくなるのである。しかも病状の進行は日々予断を許さなくなっている。情報をどのようにオープンにしていくのか、とくに難しい時期であった。
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小林麻央の闘病や市川海老蔵の献身的なケアについてはすでにさまざまに報告がされているのでいまさら私などが語ることもない。語っておきたいのは市川海老蔵に見られた変化である。
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乳癌であることを公表した2016年6月9日の会見でもそうであったけれども、死去を報告した2017年6月23日の記者会見を見てさらにいっそう強く感じたのは、市川海老蔵の話し方、そしてマスコミへの対応のしかたが父である12代目市川團十郎になんとよく似てきたことか、であった。
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いまの市川海老蔵は、2010年11月25日に起きた例の西麻布での暴行事件から謹慎期間を経て翌年7月に復帰、同月の長女誕生というあたりまでと同じ人物とは思えないほどのていねいで根気のよい、しかも気配りのきいた話し方である。
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なかには答える必要のない質問や神経を逆撫でするような質問もあるのだけれども、それらにも一つひとつ時間を割いて答えていく。拙い質問には意図を忖度して補足や追加までして答えるほどの行き届き方である。
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2010年の息子の不祥事に際して父・12代目市川團十郎がとった態度もまさにこれであった。あれから7年、2013年のその父の死、そして入れ替わるような長男の誕生、2014年の小林麻央の乳癌の発見など、さまざまな激しい経験を経て陶冶されてきたのだとは思うのだけれども、それにしても、である。
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6月23日の記者会見も公演の合間を縫ってのものであったし、来月、長男とともに出演する大歌舞伎の準備もたけなわなはずである。マスコミ対応のための身を削るような努力を見ていると、ある種の覚悟がなければできることではないようにさえ思う。これが成田屋の流儀というものであろうか。
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小林麻央の闘病は市川海老蔵の成長の物語でもあった。市川海老蔵のいまは奇跡である。今後ますますのご健康とご活躍を祈る。(了)
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