松本人志(53)の顔が最近ますますスゴい。以前ゆうパックのCM「バカまじめな男篇」に出演していたとき、思わず“汚い”と書いたのだけれども、あれから約2年半。タウンワークのCM「雪国篇」で見る松本人志はますます汚い。思わず「雪が汚れる!! 空が汚れる!!」と叫んだのは私だけではあるまい。
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人のすべては顔に現れる、顔に隠せる秘密なし ——「全顔主義」創唱者にして顔面評論家のカオリンとしては、また再び松本人志の顔面と対峙しなければならないときがきたようである。
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その前に報告。「バカまじめな男」篇で松本人志の無精ヒゲはCG処理で消されていたそうなのである(「Techinsight Japan」2014年9月8日配信)。なんとメンドくさい。CG処理をかけてあの汚さか? そんなことなら剃らせればいいものを。当時、映画だの連続ドラマだのの撮影に入っていたようすもないし、松本人志そんなにエラいのか?
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松本人志の顔は日本人としてはたいへん異質である。アフリカ系というよりも南米系、でもなくパプアニューギニア系のオジサンの顔である。さらにパプアニューギニアとはいっても
「住民は多様な民族から成っており、主にメラネシア人、パプア人、ネグリト人、ミクロネシア人、ポリネシア人などで構成される。その他にもクカクカ族、ラカライ族、ラオ・ブレリ族、エレマ族、en:Huli people、en:Asaro Mudmenなど多数の少数民族が存在する。」(Wikipedia)
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うむ。Wikipediaに掲出されている写真で見るかぎり、パプア人、ポリネシア人、クカクカ族、Huli people、Asaro Mudmenに松本人志は似ている。これはぜひご自身で確認していただきたい。テッパンである。そのなかでさらに代表を決めるとすればHuli peopleであろう。鼻の形、唇の大きさ厚さ、なんとなく“受け”に回っている目の感じもよく似ている。発達した胸や肩の筋肉も松本人志らしいけれども、これは「全顔主義」の議論には関係しない。
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Huli peopleの人口は9万人だそうである。しかし
「パプアニューギニアの人々は伝統的に「ワントーク」と呼ばれる少人数の部族に分かれて生活していた。たいていの部族は数十、数百人程度であり、それぞれの部族ごとに言語、習慣、伝統が異なっている。かつては各部族同士で戦いを行うことがよくあり、その習慣は今も一部残っている」
(Wikipedia)なのである。
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おお、思い出した。久米明(93)のナレーションも印象的な『日立ドキュメンタリー すばらしい世界旅行』(日本テレビ)が、その部族間の戦いをドキュメントしたのである。ああ、思い出した。たぶんこれは以前にも書いたことがあるのである。つながりがめっきり遅くて申しわけないのう。
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戦いの理由は、こちらの男が1人死んだのであちらの男を1人殺さなければバランスが取れない、というものであった。両方の戦士、たしか20人くらいずつが森に囲まれた草原で槍と弓をもって向き合う。全体は草陰にバラバラに散っていて、仲間の姿もよく見えない。
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カメラが注目していた1人の戦士が突進していったと思ったらすぐに跳ねるようにして駆け戻ってきた。見送ると右の尻に矢がブッスリと刺さってぶら下がっているのであった。たいへん申しわけないけれども笑った。つまりこの戦士は戦う前から敵に背後を窺われていたのである。
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戦いの顛末は「結局、この決闘はこちら側の目論見通り相手の戦士1人を打ち倒して終了した」というような久米明のナレーションだけで報告され、凄惨な場面が映されることがなかった。
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なにをいいたいのかといえば、松本人志に「オロオロオロオロオロ……」などと喉を鳴らしながら追いかけられたら死にものぐるいで逃げる、松本人志には鼻中隔に通す獣の牙がよく似合う、ということである。おそらく松本人志の遠い遠い先祖は現状のオセアニア州からマレー半島およびインドシナ半島あたりにかつて存在したスンダランドを経由して北上してきたに違いないのである。南方アジア系の日本人である。
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南方アジア系の面貌の特徴は“縄文顔”であり、これに対してモンゴルなど北方アジア系は“弥生顔”といわれる。日本には大きくこの2つの傾向の顔がある。また、虫や取りの声を左脳で聴き、“声”として認識するのはポリネシアの人々と日本人だけであるというお話は以前にここでご紹介した。そして縄文といえば自然崇拝、アニミズム(すべてにものに霊魂が宿っている)、シャーマニズム(アミニズム+巫師・祈祷師)である。
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そう、現代の日本ではほかに大映映画の大魔神くらいしか比肩しうるものがない松本人志の顔は、実は原始宗教家の顔であるとカオリンは思うのである。というより規格外の顔は宗教家くらいにしか使い途がなく、かつカリスマはよく“規格外”に宿るのである。
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仮にもし松本人志がエル・カンターレ総裁であったとしたら幸福の科学の教勢は優にいまの数倍に達していたであろう。しかし現実にはそれがあの大川隆法(60)である。ボリューミーな七三分けが好きらしいことにまでケチを付けるつもりはないけれども、あれでは会社の体育大会に意想外にも短パン鉢巻き姿、青っちろい生脚には白いニーサポーターまでして登場する昭和の張り切りバレーボール係長みたいではないか。
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しかもエル・カンターレ、最近ではメイクまで施しておられる。メイクを落とし髪を逆に右分けにしてビックリさせたらフリーアナウンサー・長谷川豊(41・次期衆院選に立候補予定)が出てきたという噂もある。ないか。
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現在パプアニューギニアでは人口の95%がキリスト教らしいけれども、なにしろ「ワントーク」の国である。
「中小の村落などでは自然崇拝も根強く残っており、人の死や病気や事故などの不幸は魔女のせいだと、呪術師が魔女と認定した罪のない女性を火あぶりにする「魔女狩り」の風習が残っている。これらは犯罪であり、政府は魔女狩りを含む「黒魔術」による報復を法規制するなどの対策をとっているが、貧困と教育の不備にあえぐ地域では根絶に至っていない。
カニバリズムの習慣が残っている民族もあるが、詳細は不明である。」
(Wikipedia)なのである。
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ヒトのプリオンが原因の伝達性海綿状脳症の一種、クールー病はパプアニューギニアの風土病であり、このカリバニズムと関係が深いといわれている。
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もとい、松本人志の顔はそうした原始的な宗教を思い起こさせるのである。どうであろう? ここまではご納得いただけたであろうか? うむ。しかし私は松本人志がシャーマン的であるといっているわけではない。とはいえ松本人志がある日あるとき突然、奇妙なワケのわからない言葉を喋りだすという事態は容易に想像できるのである。というかそんなイメージがある。
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「ワントーク」の国は部族ごとに言語があり、人口600万人に対して800以上もの言語があるといわれる「世界で最も言語の豊富な国」(Wikipedia)である。松本人志はそんなヤツなのである。すぐ身近にいるのだけれども違う言語、習慣、伝統、文化を生きている感じがするのである。
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あれも違う これも違う かなり違う かなり違う
あれは違う これも違う どれが違う これが違う
あれも違う これも違う ああ全部全部違うぅぅぅぅぅ
YAVA!! 気になっちゃったどうしよう? 気になっちゃったどうしよう?
あれどっち? これどっち? パーリラパーリラルー
YAVA!! 気にするなっていいでしょう? 気にするなっていいでしょう?
あれどっち? これどっち? パーリラパーリラルー
(BABYMETAL「YAVA!」)
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そんなようなわけで結局、松本人志の顔はこの世のものではない感じを湛えているのである。たしかにそう思いながら見ていると、松本人志のものの見方には別の場所からガラス越しに見ているような雰囲気があって、それがボケオチの発見を助けているのだろうとも思う。
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宗教者・松本人志には新雪は似合わない。きっとソッコー肺炎で死ぬ。かもしれないけれども白装束はよく似合う。そしていつか「ほなな」といって立ち去ってそのまま帰ってこないような気もする。あの顔の汚さは人外魔境(by小栗虫太郎)である。うう、踊り疲れてしまった。(了)
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