ご無沙汰しておった。謝罪文評論家の一筆ゴメンネである。今回の謝罪文は幸福の科学へ出家した清水富美加(22)との過去の不倫が一部で報じられたKANA-BOONのベーシスト、飯田(めしだ)祐馬(26)が21日、所属事務所(ヒップランドミュージックコーポレーション)を通じて発表したものである。ちなみに「飯田(めしだ)祐馬」は芸名であり、本名はふつうに「飯田(いいだ)祐馬」と読む。
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しかしこれがなかなか難解な謝罪文である。文章は短くごく単純なのだけれども、どうにも納得しづらい。怪しい雰囲気がふんぷんである。とりあえずその全文をご覧いただこう。『オリコン』(2017年2月21日配信)、【KANA-BOON飯田祐馬、清水富美加との不倫認め謝罪「私の軽率な行動」】という記事からである。
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「飯田祐馬の報道につきまして」
一連の報道にあった通り、私、KANA-BOONベース担当 飯田祐馬は、既婚の身であることを隠し、清水富美加さんと交際をしておりました。
私は2014年4月に一般人女性と入籍致しました。しかし、私は、既婚の身でありながら、そのことを隠し、2015年6月から、清水さんと交際を始めました。
2015年9月に清水さんに既婚の事実を打ち明け、謝罪しましたが、清水さんに対する自分の気持ちを断ち切ることができず、妻との離婚をほのめかしつつ、2016年1月まで交際関係を続けてしまいました。 このことで、清水さんや妻を傷付けてしまったのは事実であり、その事実に誠意を持って向き合い、深く反省しております。
また、清水さんと交際していたことについて、妻と妻の両親に謝罪をし、夫婦間では解決しております。
私の軽率な行動で、清水さん、関係者のみなさまにご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ございません。 また、いつも応援してくださっているファンの皆様を悲しませてしまったことを心よりお詫び申し上げます。
2017年2月21日
KANA-BOON 飯田祐馬
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まずタイトルの「飯田祐馬の報道につきまして」である。署名部分を見るとたしかに「飯田祐馬」になっていて本文は一人称で書かれているので本人が書いたものであろうとは思いたいのだけれども、それでは「飯田祐馬の報道につきまして」はありえない。
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また、「清水富美加」とフルネームで書かれているのは冒頭の1回のみであり、あとはすべて「清水さん」である。謝罪の相手に対して、公にされることが前提の文章で「清水さん」というくだけた呼び方も、これまたありえない。
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ついでにいうと清水富美加以外の謝罪の相手に対しては「関係者のみなさま」「ファンの皆様」である。表記のしかたがバラバラなのもおかしいし、清水富美加には「さん」でその他には「さま(様)」というのも不自然である。「さん」と「さま」とでは、自分でつかう場合を想像すればわかるけれども、気持、姿勢的にはたいへん大きな隔たりがある。「さま」のほうがずっと格上。
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いつものように意地悪く読ませていただく。この謝罪文は日常の口語体で語られたもの、たとえば供述調書みたいなものを書き起し、若干の訂正を加えたものに見える。つまり誰かのリードのもとでつくられた謝罪文ということである。リードしたのは最初に「飯田祐馬の報道につきまして」とタイトルを打った人物であろう。
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そんないかがわしさに注意が向くと、次にはもっと大きな疑問がアタマをもたげてくる。2人が付き合っていたのは2015年6月から2016年1月までの約半年であり、1年以上も前に終わった話である。それをなぜいまごろになって謝罪しなければならないのか? 相手が清水富美加だったからか? それはどういう意味で?
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オモテ向きのストーリーとしては、千眼美子名義での清水富美加の本『全部、言っちゃうね。』の「悩みのタネだった好きな人も忘れました。」という文章を読み、自分との不倫が引退・出家のひとつの原因になったのではないかと思い悩んで所属事務所に相談した、というものがある。
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しかし他方「一部マスコミからの問い合わせを受け、事務所が飯田に問いただしたところ、関係を認めたという。」(「日刊スポーツ」2017年2月21日配信)という報道もある。いずれにしても事態を把握した事務所の意向によってこの謝罪文がつくられ公開されたということである。なぜ事務所は謝罪させなければならないと考えたのか?
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週刊誌に書かれたのでこれ以上叩かれる前になんらかの手を打ちたい、ゲスの川谷絵音(28)みたいにはなってほしくない、と思ったのであろうか? うーむ。1年も前に終わったことと考えればなにをいまさら、であるけれども、報道がバンド活動に与える影響を危惧してのものであるなら、なにを慌ててそそくさと名乗り出て謝るのか、である。この先どう転ぶかはまだまったくわからないのである。早過ぎる。
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早過ぎるのは事務所がそれだけビビったということなのかもしれない。去年の“不倫ブーム”で要らないお勉強をしてしまったのかもしれないし。不倫スキャンダル発覚!! → フォローが大切!! → とりあえずソッコー謝れ!! なのかもしれない。いい加減になってきた。すまぬ。
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で、すでに「 妻と妻の両親に謝罪をし、夫婦間では解決しております」だし、清水富美加には別れるときに謝罪しているはずであるから、謝罪の相手は書かれているうちのファンと関係者、そして付け加えれば世間ということになる。
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飯田祐馬の場合ここにもうひとつ特殊な事情が加わる。飯田祐馬が清水富美加に既婚の事実を明かしたのは約半年間の交際期間のほぼ中間にあたる2015年9月である。つまり少なくともこのときまで飯田祐馬は結婚している事実を公表していなかったのである。公表していれば清水富美加の耳目にはとうぜん必ず触れる。付き合うこともなかったであろう。
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では結婚を公表したのはいつかというと、……ざっくりあたってみた。やはりである。どうも今回の出来事があるまで公表されていなかったらしいのである。この件について触れているマスコミ報道が見つからないのだけれども、“不倫よりも結婚していたことのほうがショック”というような記述があちこちのKANA-BOONファンを名乗る個人ブログに散見される。事務所はこれにも脅えたのかもしれない。
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でもなあ、ファンへのメッセージは最後に「また」としてありきたりな抽象的表現で付け加えられているだけで、結婚を伏せていたことを謝罪する直接的な言葉などはどこにもないのである。まともにファンに謝っているのでもない。「妻と妻の両親」と清水富美加への謝罪は済んでいるはずである。残るは影響がどう転ぶかはまだまったくわからない段階での「関係者のみなさま」と世間である。
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結局この謝罪文は、ただ漠然と非難を受けたくないと願ってのものなのであろうか? 結婚していたのがバレたことで「嵐」の松本潤(33)みたいに頬被りを決め込むわけにもいかなくなっているし。そう考えるのが最も妥当? ふむ。清水富美加の前所属事務所・レプロエンタテイメントは大喜びしているであろうのう。
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今回のこの謝罪文で最も異様さを感じるのは、清水富美加への配慮がいっさいなされていないことである。ああ、「妻との離婚をほのめかしつつ、2016年1月まで交際関係を続けてしまいました。」のところには自分の罪として引き受ける姿勢が見える。しかしそれでも飯田祐馬は清水富美加を積極的に守ろうとはしていない。だいたいよりにもよってこの時期に不倫関係を認めてしまえば清水富美加のイメージがさらに酷く傷つくのは火を見るより明らかではないか。
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肉体関係はなかった!! いやいや絶対になかった!! ほんとうになかった!! あんたまさかベッドのなかまで潜って確認したとでもいうのか? 同衾したことはあっても肌には金輪際、指1本触れてはおらぬ!! といい張ればいいのである。ならぬ、つい興奮してしもうた。
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そもそも不倫スキャンダル発覚!! → フォローが大切!! → とりあえずソッコー謝れ!! というやり方は不倫相手が素人か素人同然の無名の場合に限られる。相手が清水富美加のように名前の売れている人間の場合は、謝罪の前に双方での確認なり申し合わせなりをするのが常識である。思わぬひとことが相手に大きな不利益を与える場合もあるからだ。
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この場合は飯田祐馬の所属事務所(ヒップランドミュージックコーポレーション)と幸福の科学とのあいだで善後策を考えるのがふつうであろう。そうした常識的段取りがまったくなくていきなり一方的な謝罪文とは理解に苦しむ。清水富美加などどうなってもかまわない、といわんばかりである。そして「清水さん」。本人の精神的ダメージを想像するだに胸が痛む。
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もっとひどいのがこの謝罪文が公表されて以降の反応である。マスコミ、とくにテレビ、さらにはネットニュースまでもが加担しての清水富美加バッシングはまさに眼を覆いたくなるほどのひどさである。うれしいだろうレプロエンタテイメント。レプロエンタテイメントとしては裁判で洗いざらい公にされても困るし、清水富美加のイメージをとことん貶して相対的に自らの非を覆い隠すしか手はないのである。
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まったくドイツもコイツもである。芸能界のあまりに古い体質という問題の本質をこんなことでごまかしてもますます腐っていくだけなのに、利害の一致している連中が「鬼のように」(by有吉弘行)、叩きまくる。念のために書いておくけれども私は幸福の科学などまったく認めていないし、清水富美加を「洗脳」というタームで批判する連中も認めない。たったひとりで組織やその周辺とわたりあう厳しさに思いが到らないのであろうか。
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問題の本質はそこにはなくて、繰り返すけれども芸能界のあまりに古い体質にある。そこになんとか切り込んでいこうとしているときに「洗脳」をもちだして人格批判をはじめるというのではあまりに視野狭窄、思慮不足である。問題の全体を見渡してプライオリティをつければいまやるべきはそれではないことがわかるはずだ。幸福の科学のあまりに滑稽な世界観はまたあとでゆっくり批判すればいいではないか。
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それと芸能界のあり方に深刻な疑問を抱かないでいられるというのもかなり強烈な現状のバイアスがかかっているからだと私は思う。
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清水富美加(千眼美子)の2月12日付のツイートの一文を思い出す。
《力ある大人の怖い部分を見たら 夢ある若者はニコニコしながら 全てに頷くようになる。》
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飯田祐馬、そして無批判にネガティブキャンペーンをおもしろがっているあなたとあなた、少しはずかしくはならないか? (了)
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